時の流れはあまりにも早く

 今年で26歳になった。

 僕を小さい頃から知る身内や親戚にそんな話をすると、いつの間にそんなに大きくなったんだ、というようなことを言われる。僕もそう思う。ほんの数年前まで僕は生意気な高校生だった気がする。しかし時の流れはあまりにも早く、高校時代からは10年が経ち、当時の生意気な自分を恥ずかしく感じたり、古い友達とは昔話ばかりしてしまったり、そんな風になってしまった。

 

 子供の頃は早く大人になりたいな、と思ったり、大人にはなりたくないな、と思ったり、歳をとるということをぼんやりとしか考えていなかった。そしていざ大人になってみると、大人になってよかったな、と思ったり、昔に戻りたいな、と思ったり、結局大人になるということをうまく捉えられずにいる。

 ただ、確実にわかるのは以前のような気力が減ってきた、ということだ。昔の僕は気力に満ちており、(最初の方に書いたとおり)生意気で、他人のことをあまり考えず、自分の快楽のために生きていたような気がする。もちろんそれが全て悪い訳ではないけれど、色んな人に嫌な思いをさせたり、無理をさせたりと、迷惑をかけたと思う(今では申し訳ないことをしたと思っている)。しかし今では(多少)他人の顔色を伺うようになり、自分の発言や行動が相手に及ぼす影響を考えたりするようになった。そうしているうちに何かを言ったり何かをするのが面倒になってしまい、言わない/やらないといったことが多々ある。また、やりたい/やりたくないで行動するのではなく、やるべき/やらないべきで行動するようになった。好奇心ではなく、義務感で行動するようになったのだ。もちろん今でも好奇心はあるし、それに基づいて動くことはあるが、昔と比べるとかなり減ったような気がする。

 

 僕は好奇心を取り戻したい。

 余計なことを考えず、やりたいことをやりたいようにやりたい。しかし、今となってはそれが全て叶うわけではない。やりたいことだけをやっていたら生活はできないし、誰かから怨みを買うことだってあるだろう。歳をとるというのはそういうことだ。

 ただ、「好奇心を取り戻したい」という気持ちは死ぬまで忘れてはいけないと思う。

 もしかしたら色んなものと折り合いをつけながら上手くできる方法を思いつくかもしれないし、折り合いなんてつけなくてよくなるかもしれない。大人になった悲しみに負けてはいけないのだ。

 

 どんな拷問を受けても心が折れず絶対に口を割らないスパイのように、どんなに無気力になる出来事が起こっても、この気持ちを忘れずにいたい。

 

 この文章を10年後に読んだら、まだまだ生意気じゃないか、と思うかもしれないが、何かの折にこの文章が自分の役に立つことを願っている。